エヘッて めんこい顔のココ蔵
ココ蔵が旅立って、もう百箇日・・・いや、まだ百箇日なのかという気持ちです。
少しずつ、泣いている回数や時間が減ってきたけれど、時々発作のように涙が出てしまいます。
毎日が普通に過ぎて行きます。
ココ蔵が居た頃は、毎日早起きして、なんだかとっても忙しくて、自分の時間なんてあんまりなかったんです。
特に調子が悪くなってきた晩年の三年間くらいは、ココ蔵のことを考えない時間が無かったくらいココ蔵中心の日々でした。
通院とお世話が大変でしたが、それと同時に、かけがえのない存在として愛しさや絆が強まっていった濃厚な時間でした。
今は、時間の余裕も出来て、やりたいことも出来るし、心配も無いし、身体もラクになったんです。
でも、ココ蔵に逢いたくて、寂しくて、空虚な時間が流れていきます。
なんだか、お別れしてからとても長い時間が過ぎたような気がしています。
毎日、ココ蔵の仏壇にお水とフードとおやつをお供えして、お花の水を換えてお線香をあげお参りします。
お供え用のおやつは、色んな種類をたくさん買ってしまい、生前より多くなってしまいました。
よく、亡くなったワンちゃんの気配を感じるとか聞くのですが、私も家族もそれが全くなくて、夢にも出てきてくれないし、思い残すことも無く成仏できたのかなと思ったり・・・
お参りする度、生まれ変わってきてほしいと思っていたけれど、最近それは、おしつけのような感じがするなと反省しました。
私のココ蔵は、もう戻らないけど
精一杯生きて私達と一緒にいてくれた。
その時間が、それこそが全てなんだと思えるようになりました。
だから、どうか私がいつか旅立つ時に、虹の橋のたもとに迎えにきてほしい。
そうして、一緒に虹の橋を渡ろうね。
最近、そう思ってお参りしています。
とはいえ、あの笑顔、あのモフモフの温もり、一緒に歩いた散歩道・・・思い出すとすべてが愛しくて、そして切ないのです。
ココ蔵とのお別れの後、あまりにも辛過ぎて、もうワンちゃんを家族に迎え入れることはしないと思いました。
でも、満面の笑みで散歩しているワンちゃんと飼い主の方を見たりすると、微笑ましいと思いながら、「いいな~っ」とうらやましくなるのです。
そして、そんな時は、ココ蔵と自分がそうだったことを懐かしく思い出すのです。